
ミュージシャン
"ことばの肖像"
- The Yomiuri Shimbun
仙北市西木町で4月29日に開かれた「かたくりFESTA」で、かたくり群生の郷のイメージソング「初恋(かたくりの花)」を 披露した。メンバーとステージに立ち、ギターを手にカタクリの花に込めた初恋を切々と歌い上げた。仙北市西木町のイベントで歌う あるまんど山平さん 芸名の「あるまんど」は、アルゼンチンのサッカー選手マラドーナのミドルネームだ。1986年サッカーW杯イン グランド戦で、ハンド疑惑のあるゴールについて「神の手が触れた」と発言した逸話から、自身も音楽を生む「神 の手」がほしいと考えたという。 潟上市出身。家の近くには八郎湖があった。魚釣りやシジミ取りをして遊んだ。山登りや森の中で遊ぶのも好き だった。 そんな少年は、県内指折りの進学校で学び、イタリアの映画監督フェリーニに憧れ、日大芸術学部に進 学した。映画会社へ入社し、ビデオ編集の業務を担当したが、「やりたいことをやるのにあと何年かかるのか。 このままでは組織の中に埋もれるだけだ」と退職。28歳だった1988年、バブル景気の東京を後にし、故郷で再 出発した。映画は諦めたが表現することはやめられない。「一人でもできる表現は音楽だけ」と考え、好きなフ ォルクローレに力を傾注しようと決意した。
「フォルクローレは、アジアからアラスカを経て南米へと移っていったモンゴロイドの音楽だから、日本人もメ ロディーに郷愁や親近感を覚えやすい」と話す。 当時は知られていないジャンルで、楽譜も見つからない。小ぶ りな弦楽器のチャランゴなどを手に、レコードから音を耳で探るなど、苦労して演奏法を身につけた。 1989年にグループ「Belle Vientos(ベル・ ヴィエントス=美しい風)」を結成。2005年に国内のフォルクロ ーレ・フェスティバルで優勝し、本場アルゼンチンで開かれる世界的なフェスにも出場を果 たした。自然や伝説、 癒やしなどをテーマにオリジナル曲を数多く発表し、ブナの森での音楽祭も手がける。 東日本大震災では、発生翌月から岩手県沿岸南部に入り、その後も陸前高田市で定期的に演奏を続ける。「惨状 の中、かける言葉はなくても歌は伝わった。励ましに行ったのに、むしろ被災者に元気づけられた」と振り返る。 こうした経験から、人や地域を音楽でつなげる活動をしたいと、今月、NPO「MOC」も設立した。 「私は不器 用だから、何かを伝える手段は音楽しかない。言葉では語り尽くせない思いも、音にすれば伝えられる」。大好 きなブナの森にいるような「癒やし」を音楽に変え、故郷から発信していきたいと願っている。
"語り尽くせない思いも音にすれば伝えられる"
- The Yomiuri Shimbun